ダガーマン

人生楽しく

HIPHOPのレジェンド Dr.dre(ドクタードレー)の歴史 後編

 

f:id:Makeapeacefulworld:20211129205759j:plainDr.Dre

 

 

 

 

目次

1 After Math(アフターマス)時代

2After Math(アフターマス)時代 pt.2

3 Beats 創業

 

1 After Math(アフターマス)時代

 

 

 

f:id:Makeapeacefulworld:20211130133608j:plain

 

1996年、Dr.DreはDeath Row(デスロウ)を脱退し、suge knight(シュグナイト)とも決別した。理由としては諸説あるが、Hiphop東西戦争が最悪な形で終わり、Death Row所属の2Pac(トゥーパック)が撃たれ亡くなったことが関係したとも言われる。他にも、Suge Knight の悪事に腹が立ち、やめたとも言われている。

Death Rowを脱退したDr.Dreであったが、新たにAfter Math(アフターマス)というレーベルを立ち上げた。Death Rowに居たころとは違い、暴力的なgangsta rap(ギャングスタラップ)をやめ、新しいステージへと進んだ。

しかし、1992年に出し、グラミー賞を受賞したThe Chronic(ザクロニク)のような勢いは無く、Dr.Dreの時代は終わったのではないかと言われていた。

 

f:id:Makeapeacefulworld:20211130140254j:plain 

右から、Eminemエミネム)、Dr.Dre(ドクタードレ)


そんなか、1998年、一人の人物と出会う。それは今や世界を代表するEminemエミネム)だった。しかし白人であった。(なぜ白人だといけないのかというと今までHiphopは黒人のカルチャーであったためだ。)だが、Eminemは唯一無二のスキルを持ち、ダイヤの原石であった。それらを気にすることなくDr.DreEminemをプロデュースした。 それもあり、Eminemは1999年、先行シングル「My name is]を経て、After Mathからアルバム「The Real Slim Shady LP」を出した。このアルバムは2000年のグラミー賞のベスト・ラップ・アルバム部門を」受賞と、収録曲「My Name Is」による、ラップ・ソロ・パフォーマンスの受賞で二冠を達成した。

Eminemのデビュー作  My name is 

www.youtube.com

 

2After Math(アフターマス)時代 pt.2

f:id:Makeapeacefulworld:20211130141447j:plain

Dr.Dre(ドクタードレ)、Snoop Dogg(スヌープドッグ)

 

1999年、Dr.DreはAfter Mathから自身のセカンド・アルバム「2001」を出した。1992年ファースト・アルバムの「The Chronic」からは二年ぶりである。このアルバムは2015年八月現在、780万枚を売り上げたアルバムである。 先行シングル「Still Dre」からセカンドシングルの「The Next Episode」のタイトルから「まだDre、次のエピソードに進む」というメッセージがあり、もうDreは終わったのではないかという世間に対して、アンサーを返したとされる。

読者も「Still Dre」、「The Next Episode」は一度は聞いたことがあると思う。

www.youtube.com

www.youtube.com

このアルバムを通し、業界のトップに帰ってきたDr.Dre。最近の2015年にはサード・アルバムの「compton」を出している。

 

 

3 Beats 創業

 

 

f:id:Makeapeacefulworld:20211130143613j:plain

 

Dr.Dreは曲の制作を一時中断し、ヘッドフォンの制作に力を入れていた。メーカー名は「Beats By Dre(ビーツバイドレー」である。 Dr.Dreだからということもあってか、世界中で大ヒットした。読者も」知っているであろう。ヘッドフォンを大量に売った後は、HTCに売却した。それもあり、有名人長者番付ではランキング五位になった。全米でも有数の大金持ちとなった。推定資産約900億円となったのだ。アメリカの犯罪都市、コンプトンから成りあがったのだ。